前夜祭

  明日のKKC会合の前夜祭です。主役はH御大。少し耳が遠いのですが伺いました。「Oゲージが盛んな頃の状況はどうでしたか?1/45とか1/48とか色々言われましたよね。」「あああれね、結局自分の主張が正しいという事で譲らないから、平行線でしたわ。」「そうなんですか?そのころから16番に移行されたいきさつを話して頂けませんか?」「よっしゃ、書いたる。ともかく3線式が主流でスーパー何とかうモーターも持っていたけど大変でしたわ。」「じゃあ、そのころのお話を是非記録してください。」
 というような話題で、鉄道模型史で、もはやH御大しか語れないような話題をまとめていただくことにしました。そのことが戦後の16番の創設につながります。うかがったところ、16番の概念は欠してY氏が独断で決めた者ではなく、Y氏とかいろいろからんでいたようで、Y氏はコーデイネーターとして存在したに過ぎないようで、Y氏自身は16番にそれほど拘っていた訳ではないと知りました。当時Y氏は米国のホームレイアウトに憧れ、日本でもホームレイアウトが作られるようにさせたいという願望があった事は確かです。それと16番の創設の考えは少し違うというご指摘があり、それはそうかもしれないという気持ちも有ります。つまり「レイアウトを志向する為に16番を創設した」という考えは外れているのかも知れません。ここから先の議論はコンの手には負えませんし、ご指滴頂いた方もその話題でこのブログが荒れる事を懸念されていましたので、これ以上は述べません。ただ、山崎氏が16番でやろうと言った背景にはホームレウアウトが目標としてあったと自分は思っています。