キット素材論

  スワップが終わって気が抜け、月曜日で本業は忙しく、同人誌の編集は後少し、そんな状態で、工作は休みました。
  スワップで多くのキットを放出しましたが、それは「素材」として使えないから。模型社のシェイはギブアップ、つぼみの木曽森林は1両改造したので、2両目は不要、カツミのCタンクはこれからの若い人に地方鉄道の小型蒸機を作って欲しくて放出しました。乗工社のキット類は、加工出来ないので放出です。
  何故キットが販売されるのか?それは、いろいろ手を加えてアレンジして楽しんで頂くと言うメーカー側の思惑があると思います。ですから未塗装完成品が最近は少ないですね。しかし現実にはコンを含めキットは「罪庫」になりがちです。それは、一つには上手にアレンジして自分なりの模型を作ろうとすると、スクラッチとお同等、もしくはそれ以上に手がかかる事になり、泥沼化してしまう恐れがあるからです。そんな恐れから「もう少し余裕があるときに手をつけよう、定年過ぎて時間がタップリになったら組もう。」ということで棚の肥になってしまうのですね。「キットは素材と考え、気に入らない所は捨てて作り直せば良い」と教わりますが、なかなかそれを実践出来ないですね。「キットの生殺し」等と言う嫌な言葉もあります。又「キニイラナイ病」が発症すると、やってられないと中断してしまう事にもなりかねません。オークションにもそういう「仕掛かり品」が時々見られます。ですから、「キットは素材」と割り切る事が出来るかどうかが、問われているのだと思います。以上、キット素材論でした。
  閑話休題
  かつてナローの蒸機が「バリキット」以外は皆無だった時期があり、その時に雨宮、フェルトバーン、コッペル、ポーターのキットを頒布しました。このうち雨宮とフェルトバーンはそこそこ作り易かったのですが、コッペル、ポーターは難物となってしまいました。それはアマチュアの「こだわり」をキットにぶつけてしまったからに他なりません。こんな作りにくいキットをプロがリリースしたら笑われます。しかし、へそまがりの自分にとって「作り易いキット」は好みではない、「作りにくいけれど完成するとカッコ良い」方が好みです。コッペルのキットを頒布した後「果たして皆さん作れるのか?」と心配していたところ、ブログで製作記が始まり、毎日目を通していました。そして設計者の思惑以上の素晴らしい作品に仕上がって、おもわず拍手をしました。このキットが完売したのはきっとそのブログのおかげと思っています。その方に取ってはコッペルのキットも「素材」だったのでしょう。